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2001.08.29 「ニコンFマウント」


ニコンのコンパクトデジタルカメラ、
クールピクス 995 を所有する、
悩める上海の後輩へ宛てた返信メール。

ボクの薦めで 995 を買ったはいいものの、
他メーカーのカメラも気になって仕方がないというのがその悩みだ。

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今日本屋さんに行ったら 「アサヒカメラ」 にニコンの記事が載っていたので買いました。

普段は買わないんだけど、
ニコンの記事か、
自分が写真として好きな写真が載っていると、
資料用としてたまに買う雑誌です。

今の坂田君をみていると
まるでニコンを使い始めたころのボクを見ているような気がします。

じゃあここでボクがニコンを使い始めた経緯から、
今までの流れを紹介したいと思います。

このメールを読み終わったときに坂田君がなんの迷いも無しに、
ニコンファンの予備軍になっていてくれたらボクとしてはとっても嬉しいです。

ボクが一眼レフを初めて買ったのは高校一年の時。

それまで貯めたお年玉を握りしめて、
当時それこそ清水の舞台から飛び降りるくらいの勢いで買ったんだよね。

でもそれはニコンではなくて、
ミノルタのα3Xiという機種でした。

と言ってもたかが 10 万弱だったけどね。

ボクのまわりには未だに音楽関係の友人が多くて、
当時自分もバンドなんかをやっていたから、
ミノルタで良くライヴを撮影したりしていました。

ボクの写真好きはこのミノルタから始まったんだ。

それでもむちゃんこ好きって程でもなくて、
だんだんカメラや写真から離れて行っちゃったんだよね。

時は流れて大学一年のころ、
カメラ屋でニコンの F4 を見かけたんだ。

それがカメラや自動車と言った工業製品なんかを得意としているイタリアの有名なデザイナー、
ジウジアーロの手によるものだったということはその何年も後に知ったんだけれども、
他のカメラとは全く違うその質感とか完成度にとにかく惚れちゃってね、
写真の写りがどうとかニッコールレンズの伝説がどうとか、
そういうことは全く知らずニコンに憧れるようになったんだね。

その翌年の 95 年にボクが上海に留学したことは、
坂田君も同じ元上海大学留学生だから知ってるでしょ?

当時ボクは日本に帰国したら買いたいものってのをリストにしてまとめていたんだけど、
その先頭バッターにニコン F4 があったのは当然だね。

日本に戻って大学 2 年生に復帰したボクは大学 4 年生になってから名古屋の自動車雑誌の編集部に入ったんだ。

これが今のボクを決定づける大きなひとつの流れになったことは事実だね。

夜遅くまで仕事して、
お金使うヒマもあまりなかったから、
何ヶ月かしたら給料が少し貯まってきたんだ。

編集部に出入りしていてニコンを使っているカメラマンに佐藤安孝さんという人がいてね、
この人の影響と元々留学前から F4 に憧れていたと言うのもあって、
当時 97 年にデビューしたばかりの F5 を買ったんだ。

この佐藤さんという人は今ではボクのカメラ師匠で、
実は明日の夜も佐藤さんの事務所で D1H と D1X のレクチャーをしてもらうんだけど、
レースやなんかも佐藤さんと一緒に行くし、
上海にいるボクにメールでニコンの裏最新情報なんかを送ってもらったりして、
随分面倒見てもらっています。

ここからが本題なんだけど、
実はニコンを使い始めた当初、
ボクも今の坂田君と同じようにニコンに対して少し迷いがあったんだ。

前に上海でも話したと思うけど、
それはずばり伝統の F マウントに対してなんだけどね。

キャノンは 89 年に EOS シリーズを発表した際、
それまでのマウントを捨てて新しいマウントにしちゃったんだよね。

それは他のメーカーも同じだったんだけど、
ニコンはそれを変えなかった。

じゃあなんで他のメーカーはマウントを変更したかというと、
それはオートフォーカス(以下 AF )という新しい技術が入ってきたからなんだ。

AF が入ってくると、
レンズ内若しくはボディ内にモーターや歯車を組み込んだり、
レンズとボディをくっつけるマウント部分に電子接点を設けたりと、
色々と面倒なことが起こっちゃったんだよね。

元々のマウントが開発された当初は AF なんていう考え方はもちろんなかったから、
多くのカメラメーカーは

「じゃあいっそのこと AF を視野に入れたマウントに変えてしまえ」

ってなるわけだ。

でもニコンは変えなかったんだね。

無理矢理に技術でねじ伏せちゃったんだ。

それはニコン曰く

「それはこれまでニコンを使って頂いているお客様のため」

って言ってる。

確かにその方が今までのレンズは全部使えるから当たってるんだけど、
言い換えればニコンは、
マウントを変更する最大の機会を失ってしまったってことだよね。

それで思い始めたのが、
F マウントのことについてなんだ。

F マウントはニコン F が登場した今から 40 年以上も前にコンパクトな事を第一に設計されたものだから、
とにかく内径が 44mm と小さいんだよね。

ニコン F とかそういう小さなカメラにはいいけど、
ニコン F5 の様な大きなボディからすると、
とっても小さなものに見えるよね。

少し前に話したかも知れないけど、
光を多く取り入れるには取り入れる穴は大きい方が素人考えからしても良いに決まっているし、
AF の接点の問題なんかを考えても、
マウント径は大きい方が設計はしやすいだろうから、
レンズの全長・重さ・価格・設計
これらあらゆる面で見ても古いマウントってのは絶対的に不利なわけ。

「なんでニコンはこんな古くさいマウントを後生大事に使っているんだ」

F5 を買ってから F マウントの存在を知ったボクは
当初良くそうやって佐藤さんに愚痴たれていたっけな。

佐藤さんは

「そんなことないよ」

って言ってたけど、
あの人はボクと違ってそんなに多くを語る人じゃないから、
それ以上のことは何も言わないんだよね。

ニコンの AF 化ってのは F4 からなんだけど、
実は F3 にも AF モデルってのがあったんだ。

で、
F4 から本格的に導入したんだけど、
F4 のそれは決して完成度の高いものであるとは言えなかったそうだね。

対してキャノンは AF を前提にして設計されているマウントだから、
F4 に比べると随分洗練されていたんだそうだ。

それに、
マウントを変更すると、
それまで使っていたレンズを全部変えなくちゃいけないってことだから、
普通プロは数台持っているボディは勿論、
レンズ全部を変えるとなるとすごい金額が必要になるわけ。

そこでキャノンは機材をプロの連中にばらまいたんだよね。

営業戦略としてはニコンなんかよりキャノンの方がずっとうまいよね。

更に、
キャノンがうまかったのは、
プロが使うような高いレンズのボディの色を白にしたことなんだ。

そうすると単純な素人は

「あのレンズ格好いいな」

ってなるでしょ。

確かにパッと見目立つしね。

実際に今でもボクに良く

「マエハラさんも白いレンズとか持ってるんでしょ」

とか聞かれるもん。

ボクからすると

「あれはキャノンだっちゅうの」

って感じだけどね。

ボクのイメージは、
地味で堅調で技術と人情と職人気質のニコン
宣伝上手で戦略上手で派手さと合理性のキャノン
って感じかな。

実際にね、
ニコンとニコンユーザーのカメラマンとの間って、
結構人間味があって面白い部分があって。

例えばレースの取材で週末をずっとサーキットの近くで過ごしたりするときに、
予選が終わった土曜日の夜なんかに、
同じ民宿で酒を酌み交わしながらカメラ談義に花が咲いたりするんだ。

「カメラのこの部分をもっとこういう風に造ってくれ」

「うーん、そうだな〜」

とかね。

ボクは若造だから、
そういうやりとりを楽しんで聞いているだけなんだけど、
こういう風潮はあまりキャノンさんなんかにはないんじゃないかな。

89 年の EOS 以降、
実際にはキャノンユーザーのカメラマンの方が多かったんだよね。

でも今の流れを見ていると、
ニコンは D1 っていうすげーカメラをあんな安い値段で、
しかも F マウントっていう重荷を背負いながらも開発しちゃったり、
それをキャノンユーザーが自腹切って D1 買ったりしているのを見ると、
ボクとしては

「ニコン、あんたはエライ!」

って言ってあげたくなるよね。

苦しい時期もあればそうでない時期もある。

ニコンを見ていると、
大切なのは一時的な繁栄ではなくて、
確実な技術に裏打ちされた本物のカメラ道なんだなと、
ニコンを使い始めてまだ 4 年程度ですが、
本当にそう思います。

次は実際の写真の写りについて話したいと思います。

キャノンさんをはじめとするその他メーカーと、
ニコンの写りの違うところ。

それはやはりマウントに最終的な原因があるようにボクは思います。

当初はそれが気になって気になって仕方がなかった。

丁度 995 の地味さに対して不安を感じている今の坂田君のようにね。

当初のボクの考え方は、
キャノン = 実際の見た目に近い写真が撮れる。レンズラインナップが豊富。色ツヤが再現される写り。ベルビアなどの派手な発色をするフィルムとの相性が良い。雨などに弱く、良く壊れる。レンズもボディも軽い。安い。そのかわり作りも安い。

ニコン = 堅い写り。少しクセがある。アンダーは黒色にしまりがあって良いけどオーバーに弱く、オーバーは単なる飛んだ写真になってしまう。ファインダーが暗い。ボディもレンズも重くてでかい。壊れない。高い。そのかわり作りも高い。

だったんだけど、
たくさんたくさん写真を撮って色んな事を考えるうちに、
写真自体に対するボクの考え方が随分変わってきたんだね。

それが実際の出来事を大きく曲げるほど写ってしまったらダメだけど、
ニコンは決してそうじゃないでしょと。

ピントもカチッと来てるし、
たとえば子どもの顔は子どもの顔としてちゃんと撮影できる。

その上で大切なことは、
写真らしさだと。

要は写真としての特徴ってことだよね。

ニコンのレンズのことを伝統的にニッコールレンズっていうんだけど、
ニッコールは世界の何処にもないニッコールらしい絵が撮れるんだよね。

ニッコールを使った上で前原桂太としての特色をその中に盛り込んでいく。

そうすることによって

「ニコンを持ったボク」

でしか撮れない世界でたったひとつの絵が完成するわけだ。

今にして思うと、
佐藤さんは F マウントに対して愚痴をたれるボクに、
こういう類のことが言いたかったのかも知れないね。

機材も確かに大切だけど、
その機材を利用していかに自分らしい写真を撮ることがもっと大切なんだって。

佐藤さんは本物のカメラマンですね。

ボクをはじめ坂田君や他の日本人もそうだと思うけど、
ちょっとスペック至上主義に走りすぎている部分があると思うんだ。

ニコンの良さは長く使っていくと絶対に分かってきます。

特に坂田君は元来メカ好きだから、
おそらくしばらくすると敬虔なニコンファンになっているんじゃないかな。

夜、
あかりを落とした自分の部屋で、
ウィスキィグラス片手にレンズを磨き込める楽しみが出来る国産カメラなんて、
ニコン以外になかなかないよ。

でもね、
ボクはどちらかというとキャノンの絵の方が好きかな。

ここまで書いておいてこんなこというのなんだけどね。

カメラメーカーとしてのニコンの姿勢とか、
カメラのデザインなどを含めたセンスが好きなんだよね。

もちろんニコンの写真も好きだよ。

こうして文章にしてしまうと

「じゃあお前キャノンにすればいいじゃん」

っていわれそうだけど、
一番良いのは両方持ってることなんだよね。

自動車にしても、
スカイラインじゃなきゃとか、
ホンダじゃなきゃポルシェじゃなきゃみたいなものはボクにはあまりないからね。

自動車が好きでありカメラが好きなんだよね。

まぁでも 35mm カメラに関していえば、
ニコンはほかのメーカーに比べてボクの中ではちょっと特別な存在なことは確かだよ。

坂田君の場合、
余裕があったらニコンのフィルムカメラを一台購入することを是非オススメします。

コンパクトデジカメも勿論良いけど、
ニコンの良さはやっぱり

「メカメカしさ」

だから。

オススメは
「FM3A」 か 「F80」
次回帰国時に買ってみたら?

ボクは F5 があるから F80 はいらないけど、
F5 と違ってコンパクトでマニュアルって部分で FM3A はちょっと欲しい。

ストラップつけて肩からナナメにかけて街の中を歩いていたら、
いまどきマニュアルカメラだし、
逆に格好良くて女の子にももてるかなと思っています。








2001.08.26 「面白い沖縄の問題」


友人と飲んでいたら終電に乗り遅れた。

仕方ないのでタクシーで帰る事にした。

ただ、
名古屋市内からボクの実家がある岡崎市までは、
タクシーで帰るには非常に遠い。

そこで料金交渉をすることにした。

何台か断られたが、
その断られる様を見ていたあるタクシーがボクの側に近寄ってきた。

そのタクシーとの交渉の末、
通常料金の半額ほどで岡崎まで走ってくれることとなった。

走り初めて乗務員プレートを見ると「知念」と名が刻んであった。

「沖縄の方ですか?」

「はいそうです」

沖縄の方がこの名古屋でタクシーの運転手をしているというその事実自体が、
なんだかその先の話を聞きづらくしているようであった。

今年大学に入学したという娘さんとこの名古屋で住んでいるのだそうだ。

いかにもわけがありそうだ。

ボクが思っていたとおり沖縄と言うところはわけありなのかなと。

月曜日から土曜日までは長時間乗車をし、
娘さんに会えるのはもっぱら日曜日だけなのだとか。

知念さん個人のわけあり話はその場の雰囲気がいかにも重苦しくなりそうで、
ここらできりあげることにした。

彼も聞いてもらって気持ちのいいことではないだろうし。

ボクは生まれてこの方沖縄の方と話をしたことがなかった。

そこで思い切って、
日頃ボクが沖縄に対して思っていることや提案したいこと、
それに聞きたかったことなどを大胆に聞いてみることにした。

聞きたいことはただ一つ。

沖縄県と米軍の関係である。

報道事実では知るものの、
地場の方が実際どのように感じているのか。

はたしてボクはそれを名古屋から岡崎へのタクシーの中で聞くこととなったのである。

「ボクは沖縄へは行ったことがないんですけど、沖縄における米軍問題というのは報道なんかで良く聞かされているわけです。そういうこととは別に、事実沖縄の人間というのは米軍に対してどのような感情を持っておられるのでしょうか」

「基地があることによって利益を得ているという一部の人間と、沖縄の発展のためには基地は縮小するべきであるという大多数の人間。こういう構成で沖縄は成り立っています。」

「え、その利益を得られるというのは、実際にどのような業種の方なんかがいるんですか」

「例えば、自分の土地を基地へ貸すことによって、年間の賃貸料なんかをもらっている人たちです」

「え、そういうのでお金がもらえるんですか。それはやはり米軍から?」

「いやそうではなくて日本政府からもらってるんですよ」

「米軍に土地を貸してるのにお金は日本政府からもらってるんですか。なんかへんてこな話ですね」

「実は私も基地に土地を貸しているんですよ」

「へえ。どのくらいの大きさですか」

「300 坪程です」

「あの。大変失礼ですけれども、300 坪を米軍に貸与することによって、年間どのくらいのお金が頂けるんでしょうか」

「20 万円です」

「や、安いっすね。300 坪貸して 20 万円ですか」

「同じ大きさの土地でも場所によって値段が違うんですけどね」

「例えば住宅地と商業地とか?」

「そうですね」

「その評価額というのはちゃんと不動産鑑定士とかが出したりするんでしょうか」

「そうですね。鑑定士の方がやります」

「はーん。それにしても安すぎますねえ」

「でもね、今のような時代でもその賃貸料金は年に 5% とか上がっていくんですよ。昔は年率 7-8% だった。」

「へえ、そうなんですか。確かにこういう時代に 5%UP は何処の金利見たってなかなかないですよね」

「そうなんですよ。それに少ないながらも確実に入ってきますから。でも、沖縄の将来を考えた場合にはそれではダメだと思うんです」

「沖縄の地場産業ってのはどういうものがあるんですか。やっぱり観光とか?」

「そうですね。観光とか農業とか・・・。」

「報道などでは米軍問題が頻繁に取り上げられたりして、確かに米兵による婦女暴行事件とかそういうものは伝えられたりしていますけれども、実際に所沖縄の方たちというのはどのように感じていらっしゃるのでしょうか」

「え、なにがですか」

「ボクは沖縄には行ったことがありません。米軍基地が地元に与える影響というものを知らず、失礼を覚悟でお聞きしてよろしいでしょうか」

「どうぞ」

「確かに戦闘機の発着基地があれば近所の方は騒音でうるさいでしょう。弾薬保管倉庫があれば不安はあるでしょう。でも一般的に問題とされているほど米軍基地の存在というのは大きなものなんでしょうか」

「これは私の考えなんですけど」

「はい」

「基地が大きすぎるんですよね」

「それは、専有面積がでかいってことですか?」

「そうですね。普通思われている以上に基地が使っている土地って大きいんですよ。沖縄がこの先発展してゆくためにはそれが障害なんです。分断されていますから。ただでさえ沖縄は土地が少ないのに。」

「そうだったんですか。知りませんでした」

「沖縄という土地について、上海にいるボクの友人ともよく話すのですが」

「はあ」

「いやつまりですね。ボクは地図が好きでして、良く世界地図なんかをボーっと眺めていたりするのですが、沖縄って非常に良い位置にあるんですよね」

「そうですかね。沖縄は良い土地ですけど」

「いやいやそういうことじゃなくて、場所的なことでして。沖縄は日本の本州や九州などにはもちろん近いですし、中国大陸や東南アジアなんかにも近い。ましてや島が多いわけですから船の接岸なんかにも向いていると思うんです。つまり、物流の拠点としては地理的にとっても良い場所にあるんじゃないかと」

「ああ、そうですね」

「これから発展していきそうな中国大陸などへの輸送の中継地点として、飛行機とか船が入りやすい形にしてやると、沖縄はものすごく活気のある場所になるんじゃないかなって。それに、工場なんかをおったてて何かを製造するわけじゃありませんから、沖縄の綺麗な自然もあまり損なうことなく効果的な経済効果が見込めるんじゃないかと。ちょうど香港みたいな感じの貿易中継地点としての役割ですね。観光と中継地点。すごく良いと思うんですけどどうでしょうか」

「確かに良いですね。でも口で言うのは簡単ですけど、実際にはなかなか色んな問題があって難しいですよね」

「まぁ、そうでしょうね」

こんな会話をしながら岡崎までの遠い道のりを走ったわけだが、なかなか面白くて、時間がアッという間に過ぎてしまった。今度ヒマがあったらカメラでも持って沖縄に遊びに行ってみるかな。







2001.08.22 「made in China の問題」


自分が上海にいるときは

「まったく駐在員の奴らは・・・ロクな奴がいねえ」

なんて言っておきながら、
いざ日本に帰ってきて友人に、

「なあケータ、最近は何でも made in China だな。どんどん中国に進出して安く作るんだ。」

なんていわれると、

「向こうに行ってる奴らの見えない努力があってそれは実現してるんだ。本当に大変なんだから。」

と、
まるで同胞のように彼らをかばうような発言をしてしまうから、
人間って立場や雰囲気によって意見のコロコロ変わるいい加減な生き物だな。








2001.08.21 「あふれんばかりの」


F1 はミハエルシューマッハがハンガリーグランプリで優勝を飾り、
早くも年間チャンピオンを獲得しました。

サッカーでは小野がオランダでデビュー戦を飾り、
アシスト 2 の大活躍です。

高原も海外デビューを果たしましたが、
結果はほろ苦いものとなったようです。

大阪で俳優のいしだ壱成が大麻所持で現行犯逮捕されました。

日本にいると色んな情報が入ってきます。

それが楽しいかどうかは別として、
スポーツ・経済・政治・芸能などなど、
情報があふれている社会であると改めて実感しています。








2001.08.19 「マシンは追えた」



知り合いのカメラマンにニコンの最新型デジタル一眼レフカメラ、
D1H と D1X を貸してもらってジムカーナを撮ってみた。

いやあ D1 よかった。

非常に使えるカメラだ。

ボクの次のカメラはデジタルですかね。







2001.08.15 「マシンを追えるかな」


明日からしばらく日本です。

時間があればサーキットにも出向きたいと思います。

走るレーシングマシンは久しく撮っていないので、
きちんと撮ることができるだろうか。

当該コラムは更新していきます。








2001.08.10 「アドバイス」



小泉純一郎首相の長男が芸能プロダクションと契約し、
芸能界入りすることが決まったらしいが、
それに対する小泉氏のアドバイスが良かった。

「本人が希望するなら貫け」

日本の現職首相ですよ。

しかも就職先は芸能界。

従来の日本の首相じゃあ考えられなかったようなコメントです。

かっこいいなぁ。

靖国参拝問題もその是非はどうあれ、
子どもに対する教育方針と同じく、
自らの意志を貫いてほしいと思う。








2001.08.09 「ぐい」



中国で生活していて、
町中で見知らぬ中国人から無礼な態度を取られて

「ムカッ」

と来た事があると思う。

そういう中で生活していると、
知らず知らずのうちに自分まで発言や行動がだんだんと乱暴になってくる。

「ここは中国なんだから自分も・・・」

とか

「みんないい加減だから自分も・・・」

とか、
無意識のうちのそんな感覚だ。

ある時ボクが腕で人を

「ぐい」

とどけて路上を歩いていたら連れの中国人に、

「前原さん、それは礼儀がなっていない」

と注意を受けた。

中国で生活していると

「中国人だから・・・」

とか

「日本人は・・・」

とか、
両国の文化や国民性の比較話になったりすることが多い。

でもそういうことではなくて、

「自分自身が人としてどうなのか」

ということが大事なんだなと、
雨続きの上海で最近そんなことを考え始めた。







2001.08.06 「天候は流れる


昨日から上海はまた大雨。


市内のそこら中が水浸しである。

95年の留学当時はインターネットもなかったし、
部屋に NHK の BS 1.2 もなかったから気づかなかったんだけど、
今リアルタイムで日本や中国の色んな情報を得ていて、
あることに気づきました。

上海での気候が数日後の日本で実現するってことです。

上海も暑いです。

暑い通り越して熱いになってる。

連日 38 度とか。

その数日後に日本でも猛暑になります。

上海で大雨が降るとその雨雲が流れて日本でも数日後大雨。

雲や風が西から東に流れている証拠ですね。